筑波大、箱根駅伝出場!26年ぶり復活!クラウドファンディング活用で運営資金集め

スポーツ界

今日は、第96回箱根駅伝に26年ぶりに出場する筑波大学を紹介します!

長い歴史がある箱根駅伝の中でも1920年の第1回大会で優勝したのは東京高等師範学校を前身とする筑波大なのです。
その初代王者の筑波大ですが、過去60回の出場を誇りながら、近年は予選会で涙をのんできました。
2015年にOBの弘山勉監督が就任してから、クラウドファンディング活動も開始し、年々着実に力をつけてきた結果、2016年時点では24位だった箱根駅伝予選会の順位は、2017年19位、2018年17位と上げてきて、2019年は見事に6位入賞を果たし、10位以内に与えられる本選の出場権を獲得したのです。

筑波大学駅伝

箱根駅伝出場を決め喜ぶ筑波大の選手たち、引用元:hochi.news

今年のNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公で箱根駅伝創設者の金栗四三氏は、東京高等師範学校出身なのです。100年の時を経て、その後輩たちが箱根路を駆けるのは運命的かもしれないですね。
箱根駅伝は大正、昭和、平成、そして、令和の時代と引き継がれ、再び筑波大は常連校として復活するのでしょうか!箱根駅伝創設者の金栗四三氏

箱根駅伝創始者で大河ドラマ「いだてん」の主人公の1人、金栗四三さん、引用元:玉名市公式ホームページ

箱根駅伝と筑波大学の軌跡

下の表は95回を数える箱根駅伝の歴代優勝校です。
記念すべき1920年、第1回の優勝校は東京高等師範学校とありますが、現在の筑波大学になります。
長い歴史の中でもそれ以降、筑波大学は一度も優勝していません。それどころかここ最近では26年間、本戦出場さえできなかったのです。

【箱根駅伝歴代優勝校】(★…完全優勝(往路・復路ともに1位))

総合優勝校 回数 記録
1 1920年 東京高等師範学校 15時間05分16秒
2 1921年 明治大学 14時間39分01秒8
3 1922年 早稲田大学 14時間12分21秒
4 1923年 早稲田大学 2 14時間15分49秒8
5 1924年 明治大学 2 14時間25分09秒6
6 1925年 明治大学 3 14時間09分54秒8
7 1926年 中央大学 14時間17分31秒
8 1927年 早稲田大学★ 3 14時間25分37秒4
9 1928年 明治大学 4 13時間54分56秒
10 1929年 明治大学 5 13時間32分50秒
11 1930年 早稲田大学 4 13時間23分29秒
12 1931年 早稲田大学 5 13時間21分15秒
13 1932年 慶應義塾大学 13時間17分49秒
14 1933年 早稲田大学★ 6 12時間47分53秒
15 1934年 早稲田大学 7 12時間58分24秒
16 1935年 日本大学★ 12時間52分59秒
17 1936年 日本大学★ 2 12時間54分22秒
18 1937年 日本大学★ 3 12時間33分24秒
19 1938年 日本大学★ 4 12時間40分13秒
20 1939年 専修大学 13時間01分00秒
21 1940年 日本大学★ 5 13時間12分27秒
22 1943年 日本大学 6 13時間45分05秒
23 1947年 明治大学 6 14時間42分48秒
24 1948年 中央大学★ 2 13時間21分10秒
25 1949年 明治大学 7 13時間36分11秒
26 1950年 中央大学★ 3 12時間35分36秒
27 1951年 中央大学★ 4 12時間20分13秒
28 1952年 早稲田大学 8 12時間35分07秒
29 1953年 中央大学★ 5 12時間03分41秒
30 1954年 早稲田大学★ 9 12時間21分10秒
31 1955年 中央大学★ 6 12時間08分40秒
32 1956年 中央大学★ 7 12時間04分49秒
33 1957年 日本大学 7 12時間14分04秒
34 1958年 日本大学★ 8 12時間02分17秒
35 1959年 中央大学 8 12時間01分23秒
36 1960年 中央大学 9 11時間59分33秒
37 1961年 中央大学★ 10 11時間55分40秒
38 1962年 中央大学★ 11 12時間14分05秒
39 1963年 中央大学 12 12時間00分25秒
40 1964年 中央大学★ 13 11時間33分34秒
41 1965年 日本大学★ 9 11時間30分41秒
42 1966年 順天堂大学 11時間20分01秒
43 1967年 日本大学★ 10 11時間24分32秒
44 1968年 日本大学★ 11 11時間26分06秒
45 1969年 日本体育大学★ 11時間30分58秒
46 1970年 日本体育大学★ 2 11時間31分21秒
47 1971年 日本体育大学 3 11時間32分10秒
48 1972年 日本体育大学★ 4 11時間31分03秒
49 1973年 日本体育大学 5 11時間47分32秒
50 1974年 日本大学 12 11時間46分02秒
51 1975年 大東文化大学★ 11時間26分10秒
52 1976年 大東文化大学 2 11時間35分56秒
53 1977年 日本体育大学★ 6 11時間31分11秒
54 1978年 日本体育大学 7 11時間24分32秒
55 1979年 順天堂大学 2 11時間30分38秒
56 1980年 日本体育大学★ 8 11時間23分51秒
57 1981年 順天堂大学 3 11時間24分46秒
58 1982年 順天堂大学 4 11時間30分00秒
59 1983年 日本体育大学 9 11時間06分25秒
60 1984年 早稲田大学★ 10 11時間07分37秒
61 1985年 早稲田大学 11 11時間11分16秒
62 1986年 順天堂大学 5 11時間19分33秒
63 1987年 順天堂大学 6 11時間16分34秒
64 1988年 順天堂大学★ 7 11時間04分11秒
65 1989年 順天堂大学★ 8 11時間14分50秒
66 1990年 大東文化大学 3 11時間14分39秒
67 1991年 大東文化大学 4 11時間19分07秒
68 1992年 山梨学院大学 11時間14分07秒
69 1993年 早稲田大学★ 12 11時間03分34秒
70 1994年 山梨学院大学★ 2 10時間59分13秒
71 1995年 山梨学院大学 3 11時間03分46秒
72 1996年 中央大学 14 11時間04分15秒
73 1997年 神奈川大学 11時間14分02秒
74 1998年 神奈川大学★ 2 11時間01分43秒
75 1999年 順天堂大学 9 11時間07分47秒
76 2000年 駒澤大学★ 11時間03分17秒
77 2001年 順天堂大学 10 11時間14分05秒
78 2002年 駒澤大学 2 11時間05分35秒
79 2003年 駒澤大学 3 11時間03分47秒
80 2004年 駒澤大学★ 4 11時間07分51秒
81 2005年 駒澤大学 5 11時間03分48秒
82 2006年 亜細亜大学 11時間09分26秒
83 2007年 順天堂大学★ 11 11時間05分29秒
84 2008年 駒澤大学 6 11時間05分00秒
85 2009年 東洋大学★ 11時間09分14秒
86 2010年 東洋大学 2 11時間10分13秒
87 2011年 早稲田大学 13 10時間59分51秒
88 2012年 東洋大学★ 3 10時間51分36秒
89 2013年 日本体育大学 10 11時間13分26秒
90 2014年 東洋大学★ 4 10時間52分51秒
91 2015年 青山学院大学★ 10時間49分27秒
92 2016年 青山学院大学★ 2 10時間53分25秒
93 2017年 青山学院大学★ 3 11時間04分10秒
94 2018年 青山学院大学 4 10時間57分39秒
95 2019年 東海大学 10時間52分09秒

記録の赤太字は歴代最高記録。2015年の青山学院大学が唯一の10時間49分台を叩き出しました。

筑波大、26年ぶり古豪復活!3つの要因

筑波大学が26年の長いブランクを埋めた理由は3つあるといわれています。

①「箱根駅伝復活プロジェクト」の名の下に開始されたクラウドファンディング
 国の財政難から国立大の筑波大学に配分される運営費交付金は年々、減少する傾向の中で活動が限られていますが2015年に弘山勉監督が就任してから始めたクラウドファンディングによる活動資金の獲得に成功してきました。
 これまでに集めた計1200万円の寄付金を活用し、合宿回数を増加、スポーツトレーナーも雇うなどし、競技環境を格段に改善しています。

筑波大学 弘山勉監督、引用元:スポニチアネックス

②チームの士気の高まり
 主務の上迫彬岳(あきたけ・3年)は、以前からチームに危機感を抱き「箱根を目指すチームとしての甘い部分がある」。その思いを6月の全日本大学駅伝予選会を逃した際に爆発させました。
「箱根駅伝上位校は自分たちより整った環境で自分たちより必死に練習しているのに、僕らは全身全霊ではない。それで果たして勝てるのだろうか」と部員に訴え、「出るためにはどれだけのことを犠牲にしないといけないか」と疑問を投げかけました。そして「これだけ苦しい思いや犠牲を払ってでも、本当に箱根に出たいかどうかきっちり話し合おう」と提案。後日ミーティングを行い、問題点を話し合いました。結果として部員の数は減少しましたが、チームの目標は一つになり団結力は高まったのです。

③学生個人の努力も復活への原動力
 医学群医学類5年・川瀬宙夢(ひろむ)は、箱根出場を目指す一方で、スポーツドクターを目指す文武両道の医学群の5年生です。


筑波大学医学群5年川瀬宙夢選手、引用元:週刊女性PRIME

医者を志したのは、中学2年生のとき。「陸上部でしたが、サッカーも好きで。『ユーロ2008』を見ていたら、ケガした選手に駆け寄る医者がいて。“なんで医者?”と思ったら、スポーツドクターでした。医者として帯同するチームや選手が日本一や世界一になれたらすごく面白いだろうなと思ったんです」
 夢を膨らませ、文武両道の愛知県立刈谷高校へ。3年時には3000m障害でインターハイに出場。
「でも、予選で失格してしまって。陸上は高校までと思っていたけど、このままでは終われない。大学でも続けようと決めました」
 関西や東海地区のいくつかの大学から陸上での誘いはあったが、“医者になるから”と、親にその話をする前に断りました。
「当時、陸上の強豪は関東に集中していて。かつ、経済的な理由から国立一択。おのずと、志望校は筑波大になりました」
 一浪を経て見事に合格。しかし勉強漬けの日々により、全然走れない脚になっていました。
「まずは陸上同好会に入りました。そこでだんだん調子を取り戻し、2か月遅れで陸上競技部に入部しました」
「入学したころ、箱根駅伝は別世界だと思っていました。憧れはありましたが、自分には無理だろう、とも。下級生のときは、箱根当日には大手町でプログラムを販売していました。レースは録画で見るわけですが、悔しくて途中から見られなかったですね」
医学生として多忙の毎日を送っていても、決して練習の手は抜かず、実習でチームメイトよりも練習時間が少なくなる時は5時に起床し、夜は20時半を過ぎても練習してきました。予選会を含めて箱根駅伝出場は4回までという規定があり、今回が最後の箱根路となります。5年間チームを見てきただけに「元々仲が良いチームだけど、今年のチームはお互いの痛いところも言い合える」と改善したチームに胸を張っています。
 医者の卵が箱根駅伝を走るのは、おそらく戦後初となるでしょう(※3年の田川昇太選手も医学群医学類)。

 努力でつかみ取った箱根切符に弘山監督は「感慨深い。節目にまた戻ることができた」と目を細めています。目標は翌年のシード権が獲得できる10位以内。創設100周年の節目を、完全復活のターニングポイントにする覚悟です。 

弘山勉監督「箱根駅伝で戦う義務がある」と奮闘を誓う!

筑波大学 駅伝復活プロジェクトとは

筑波大学 駅伝復活プロジェクトについては、HPに下記のような記載があります。

IMAGINE THE FUTURE ~未来を想え – 筑波大学

筑波大学は、あらゆる面で「開かれた大学」を目指しています。

固定観念に捉われない「柔軟な教育研究組織」と次代の求める「新しい大学の仕組み」を率先して実現することを基本理念とし,我が国における大学改革を先導する役割を担っている。

人類社会の調和の取れた発展の鍵を担う知の拠点として,筑波大学は,知の全ての分野において「幅広い教育研究活動」を展開することが可能な総合大学です。個性と自立を基軸とし,世界が直面する問題の解決に主体的に貢献する人材の創出を目指した教育研究を充実・強化すべく、様々な目標を掲げている。

Mission

本学の箱根駅伝復活プロジェクトは、東京高等師範学校出身の金栗四三翁によって構想された箱根駅伝の原点に立ち返り、粘り強さと創意工夫に富む筑波大学らしい学生育成の場として位置づけようとするものです。

金栗翁は、今から約100年前の1912年に日本人初のマラソン選手としてオリンピック・ストックホルム大会に出場、帰国後は箱根駅伝の創設に尽力されました。1920年に第一回大会を開催し、優勝を収めたのが本学の前身である東京高等師範学校でありました。

私達はこのDNAを受け継ぎ、体育専門学群を含む多様な学群・学類学生の参加により、長距離トップアスリートの育成のみならず、社会の様々な分野で活躍できる学生の育成を目指します。

また、筑波大学の知と技を活かして箱根駅伝出場を果たし、本学における教育研究のさらなる活性化や本来あるべき学生競技の姿を示す筑波大学らしい取り組みを展開しようと志すものであります。

Vision

本プロジェクトは、箱根駅伝に対する新たなアプローチ・挑戦であると同時に、学生競技の意義を問い直し、競技スポーツの存在意義を改めて社会に訴えることを企図しております。

「Renaissance(ルネッサンス)」に込めたのは、本学の箱根駅伝本戦への出場だけでなく、箱根駅伝のさらなる価値の創造と真の意味での発展に対する密かな想いです。

ある意味で、本学の箱根駅伝復活はこのような願いを果たすための手段に位置づけられるかもしれません。つまり、本プロジェクトを通じて、実現したい姿は、「スカラー・アスリート」の輩出です。

Future

本プロジェクトが目指す「スカラー・アスリート」とは、高い競技能力と倫理観、スポーツ愛好精神に加え、高い教養と知的探究心をもって自身の能力開発を進め、将来的にはその経験を活かして社会に貢献できるような人材です。

例えばオリンピックで活躍したのち、競技の世界から離れても、それぞれ活躍の場でリーダーシップを発揮し、周囲の範たる有為な人材となることを目指します。そうした人材を育成できたとしたならば、セカンドキャリアとして、教育界、スポーツ界、産業界、国際機関などでの活躍が期待されます。

そのために、博士前期・後期課程やそこに設けられた様々な学位プログラム(国際スポーツ学、スポーツ国際開発学、高度大学体育指導者養成、次世代健康スーツ科学)での学びの可能性が筑波大学には開かれております。

また、同校OBであり、学生時代、第65回箱根駅伝第2区を走った経験のある弘山勉監督は、次のように述べています。

筑波大学は、私を育ててくれた親愛なる母校です。その母校のために、ましてや、陸上競技部のために、力を注げることはたいへん嬉しく光栄に思っています。

そんな想いを胸に着任したのが2015年4月。箱根駅伝予選会では、20位を超える順位が続いていることから、かなりレベルが低いチームとの予想は、良い意味で裏切られました。

スピート能力が豊かで、素直で、頑張り屋の学生が何人もいるのです。着任初年度から「本戦出場を本気で狙っていこう」という気持ちに駆られました。私は最初の挨拶で学生に伝えました「今年から箱根駅伝出場を狙うぞ」と。

学生たちは驚いた顔をしていまし

たが、私が課すハードなトレーニングに音を上げることもなく、この半年間黙々と練習を重ねてきました。素晴らしい学生たちです。

箱根駅伝予選会20位オーバーの大学でありながら、こうした優秀な学生が入学してくる筑波大学陸上競技部長距離は、まだまだ捨てたもんじゃないと思います。

希望を抱いて本学に入学してくる学生に明るい未来が訪れるように、私も頑張って手助けしていきたいと思います。 私は4年間箱根駅伝を走っていますが、近年の箱根駅伝の加熱ぶりは凄まじく、競技レベルは私の学生時代の比ではありません。どんな指導をすれば予選を通過できるか勉強の日々となりますが、大事なことは、学生が「本気で箱根駅伝を目指す心」を持てるかどうかです。この本気を積み重ねていくことで、箱根駅伝本戦出場が見えてくるのではないでしょうか。ですから、初年度から『本気モード』で学生の指導に当たっています。

険しい道のりだからこそ、得られる“もの“がたくさんあるはずです。私は指導者として、学生の「心を育み」「学びの精神を植え付け」「人としての自立」「社会の中での自律」を促していきます。

また、駅伝というチーム競技だからこそ養われる心や能力もあります。「共存共栄」「思いやり」「協調性」「競争心」挙げたらきりがありません。

今年が初年度、怖いものは何もありません。挑戦ですから。学生とともに、この挑戦を楽しみ、悔いのない闘いをしていきたいと思います。

 

文武両道を目指す筑波大の新たな箱根駅伝の歴史を見てみたいですよね!

過去60回の出場を誇りながら、近年は予選会で涙をのんできた筑波大学。さまざまな苦難を乗り越え、ようやく復活の兆しが見えてきました。
この先、本当の意味での古豪復活となるのか、今後の筑波大学、弘山勉監督に期待しましょう!

それでは今回は以上になります。

最後までご覧頂きありがとうございました m(_ _)m

また、次回の四つ葉の知恵ブログでお会いしましょう!

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